あれから、8年が経とうとしています。
時間が経てば、自然と整理できることもありますが
この話については、ずっと心のどこかに残ったままでした。
今なら、少し距離を取って振り返れる気がしています。
すべてが突然起きた出来事ではなかったことも
その前から、いくつもの前触れがあったことも。
ただ当時の私は
それらを正面から見ることができませんでした。

 

家計の話に触れないという選択

私は50代の男です。
8年前に妻を亡くしました。
20代後半で結婚し、2人の息子がいます。
家のお金の管理は、結婚してからずっと妻が担っていました。
話し合って決めたというより、気がつけばそうなっていた、というほうが近いかもしれません。
私は働いて、給料を入れる。
生活は回っている。
それで十分だと思っていました。
ただ、今振り返ると、それは「任せていた」という感覚とは少し違っていたように思います。
「見せてほしい」
そう言うたびに、家の空気が張りつき、最後は何も言えなくなる。
実際には、口論になるくらいなら触れないでおこう。
そんな判断を、何度も繰り返していました。
本意ではなかったものの、家計の実質的な管理は妻がしていた。
それが、あの頃の現実でした。

お金が足りない、という言葉

毎月のように
「今月もお金が足りない」という話は出ていました。
贅沢をしているつもりはありませんでした。
外食は控えめで
旅行もたまに行くくらい。
それでも余裕がない。
理由ははっきりしないまま
その状態が続いていました。
何度か、通帳を見せてもらえないかと聞いたことがあります。
「少し確認したいだけなんだけど」
そう前置きして。
返事は、決まって曖昧でした。
「今はちょっと」
「あとでね」
あるいは、話題を変えられることもありました。
それ以上踏み込むと
家の空気が重くなる。
言い合いになる。
その流れの繰り返しでした。

違和感を違和感として扱わなかった理由

今考えてみると
どう考えてもおかしい状況です。
家のお金の話をしようとすると空気が悪くなる。
それを避けるために
こちらが黙るようになる。
でも当時は
それを「おかしいこと」だとは思っていませんでした。
違和感はあったはずなのに
それを違和感として認識していなかった
そんな感覚です。
子育てにはお金がかかる。
それなりに出費が増える。
よくそう言われていました。
だから
「お金が足りない」という言葉を
私は疑うことなく信じていました。
深く考えることもなく
「そういうものなんだろう」と受け止めていました。
今になって思うと、不思議です。
なぜ、あれほど何も疑問に思わなかったのか。

なぜ、一度きちんと確認しようとしなかったのか。振り返ると
少し強い表現になりますが
洗脳に近い状態だったのかもしれないと感じることもあります。
もちろん
誰かに意図的に何かをされた、という話ではありません。
ただ
「触れないほうがいい」
「波風は立てないほうがいい」
「子育てはとにかくお金がかかる」
そうした考えが積み重なって、
考えること自体をやめてしまっていたのだと思います。

普通に見える家庭の中で

その頃
長男は高校生、次男は中学生になっていました。
外から見れば
ごく普通の家庭だったと思います。
特別な問題を抱えているようには
見えなかったはずです。
だからこそ
深く考えなかったのかもしれません。
家計の話は
いつの間にか触れない話題になっていました。
私はその空気に逆らわず
自然と従っていました。
今になって思うことはあります。
「あの時、もう一歩踏み込めなかったのか」と。
面倒なことを避けていたのは
間違いなく自分です。
任せきりにしていた自分にも
責任はありました。

後悔

確かに、前触れはあった
違和感は、確かにありました。
ただ、それは声を上げるほどの確信ではありませんでした。
だから私は
波風を立てないことを選びました。
その選択が
この先の大変なことになるとは
その時は想像もしていませんでした。