触れなかった「家のお金」

妻が亡くなってから、私は初めて「家のお金」に直接向き合うことになった。
最初の記事にも書いたように、違和感は確かにあった。ただそれは、日常の中に埋もれた、小さな引っかかりのようなものだった。
触れないようにしてきたことでどうにか保たれていた日常。
葬儀の準備を進める中で、どうしても必要になり、通帳を確認した。
ページを開いた瞬間、頭の中が真っ白になった。
残高は、ゼロだった。
何度か見直した。
ページを戻し、もう一度確認した。
それでも、数字は変わらなかった。
給料から天引きして積み立てていたはずの積立金口座も同じだった。
順調に積み立てられていれば、いざという時の支えになるはずの口座。
そこには、何も残っていなかった。
悲しむ前に、足元が崩れるような感覚があった。
この時点で、私はようやく気づいた。
「これは、ただ事ではない」

通帳が教えてくれた「見せてもらえなかった理由」

その時点では、細かい事情までは分からなかった。
ただ、通帳の記帳内容を追っていくうちに、ひとつの疑問が浮かんできた。
「なぜ、通帳を見せてもらえなかったのか」
入金と出金のバランス。
不自然な引き出し。
減っていくスピード。
「ああ、これは……」
確かな証拠があったわけではない。
けれど、長い時間をかけて、何かが積み重なってきたことだけは分かった。
葬儀費用は、この通帳からは出せなかった。
ページをめくりながら、過去のやり取りが頭に浮かんだ。
「通帳を見せてほしい」と言ったときの沈黙。
理由の分からない拒否。
最後は、決まって口論になったこと。
あの時の違和感は、勘違いではなかった。
そう思った瞬間、胸の奥が重くなった。
結局、親族に頭を下げ、家族からお金を集める形で、なんとか葬儀を行った。
悲しむことより、現実に追われていた。
そんな時間だった。

始まった家計整理と、静かに積み重なっていた未払い

葬儀と役所の手続きが一段落したあと、私は家に残された書類を確認し始めた。
通帳。
未開封の封筒。
請求書。
どれも見慣れているはずなのに、手に取るのが少し怖かった。
最初に衝撃を受けたのは、金額の大きさではなかった。
「いつから払われていなかったのか」
その長さだった。
固定資産税は、1年や2年ではなかった。
何年も、未払いのままだった。
電気代も同様だった。
本来なら、止められていてもおかしくない。
後になって、電気屋さんが知り合いだったため、妻とのやり取りの中で、滞納に目をつぶってくれていたことを知った。
問題は、突然起きたわけではなかった。
静かに、長い時間をかけて、確実に進んでいた。
さらに書類を確認していくと、消費者金融からの通知が出てきた。
自分名義のカードローン。
妻名義のカードローン。
複数の借り入れがあり、返済はされていなかった。
誰かに騙されたわけでもない。
突発的な出来事でもない。
ただ、放置され続けていた。
それが、現実として一番重く感じられた。

子どもたちが背負っていたもの

続いて出てきたのは、学校関係の書類だった。
次男の給食費。
長男が野球をしていた頃の部費。
どれも、長期間未納のままだった。
封筒を持ったまま、しばらく動けなかった。
「子どもたちは、どんな気持ちで学校に通っていたのだろう」
給食費が払われていない家の子。
部費を滞納している家の子。
先生たちは何を思い
本人たちは何を感じていたのか。
家では、何も言わなかった。
それが、今でも一番胸に残っている。
住宅ローンも、支払われている月と、そうでない月が混在していた。
延滞利子も、かなりの額になっていた。
「知らなかった」と言えば、少しは楽になれたかもしれない。
でも、違和感がなかったわけではない。
お金が足りないと言われていたこと。
通帳を見せてもらえなかったこと。
お金の話になると、空気が重くなったこと。
家計を完全に妻任せにしていたわけではない。
お金の話は、何度もしてきた。
ただ、通帳の話になると、必ず口論になった。
信頼していたから。
ごちゃごちゃしたくなかったから。
あの頃の自分に
「なぜ、もっと踏み込まなかったのか」
そう何度も問いかける日々が、しばらく続いた。
この現実から、目を逸らすことはできなかった。

現実

通帳の残高がゼロだったこと。
未払いが、長い時間をかけて積み重なっていたこと。
子どもたちが、何も言わずに抱えていたこと。
それらを前にして
私は初めて現実と向き合うことになった。