〜妻を亡くした後に直面した家計の現実を書き残している記録の一つです〜

時間だけが、確実に過ぎていった

妻が亡くなってから、七年が過ぎた。
あのとき高校二年生だった長男は、いま社会人として働いている。
中学三年生だった次男は、大学四年生になり、就職も決まった。
子どもたちは、あっという間に大人になった。
その姿を見たとき、不意に足を止めるような感覚に襲われることがある。
時間は、何事もなかったかのように、確実に前へ進んでいる。
そして、決まって頭に浮かぶ。
もし、妻が亡くなっていなかったら。
私たち家族は、どうなっていたのだろうか。

「もしも」を考えてしまう私

もし妻が生きていたら、家族はあのままの状態で続いていたのだろうか。
そんなはずはない。頭では分かっている。
それでも、時折考えてしまう。
長男は、専門学校や大学へ進めていただろうか。
次男は、高校、大学と進学できていただろうか。
当時の家計の状況を思い返すと、進学どころの話ではなかったはずだ。
住宅ローン、滞納、督促状。
お金の問題を、妻がいつまでも隠し通せたとも思えない。
どこかで必ず、歪みは表に出ていた。
それは、もっと早い段階だったかもしれない。
あのままでは、絶対に続かなかった。
もし、家のお金の実情が私に知られていたら。
そのとき、家族はどうなっていたのだろう。
冷静な話し合いで済んでいたとは、正直思えない。
責任のなすりつけ合い。
感情が絡み合い、引き返せなくなる言葉。
離婚という選択肢も、現実として浮かんでいたかもしれない。
どれだけ想像しても、「うまくいっていた未来」は、どうしても思い描けなかった。
こういう言い方は、決して良くないのだと思う。
それでも、妻が生きていた未来を「普通の家庭」として想像できない自分がいる。
それが、いちばん怖いことだった。

何もできなかったという感覚

振り返ってみると、私がお金のことに深く踏み込まなかった理由は、
「任せていたから」だけではなかった。
通帳や家計の話になると、必ずと言っていいほど喧嘩になった。
声を荒げるつもりはなくても、話は噛み合わず、
最後には口論になり、空気だけが重く残った。
その繰り返しが、次第に私の中で
「この話題には触れないほうがいい」という感覚を作っていった。
家の中を、これ以上ごちゃごちゃさせたくなかった。
関係が壊れるほどの衝突は、避けたかった。
そう思うあまり、私は一歩踏み込むことをやめてしまったのだと思う。
深く関わらなかったというより、
関わろうとすると争いになる現実から、距離を取ってしまった。
その結果、確認すべきことまで後回しにしてしまった。
もちろん、そこで引き下がった自分にも責任はある。
もう一歩、踏み込めたはずだ。
感情的になることを恐れず、冷静に向き合う道も、きっとあった。
それでも当時の私は、家庭を守るために
「争わない」という選択をしているつもりだった。
その選択が、結果として問題を見えにくくし、
気づいたときには、取り返しのつかない状態になっていた。
「なぜ、あのとき踏み込めなかったのか」
その問いは、今も自分の中に残っている。

亡くなってから、止まったもの

妻が亡くなったことで、家計の問題は一気に表に出た。
それは、苦しく、厳しい現実だった。
だが同時に、
それ以上悪くなる流れを、どこかで止めることができたのではないか。
そんな思いも、消えずに残っている。
息子たちは、奨学金を借りながら進学した。
決して楽な道ではなかった。
それでも、前に進む選択肢は残されていた。
あのままの状態が続いていたら、
その選択肢すら、なかったのではないか。
そう思うことがある。
これは、妻の死を肯定する話ではない。
救われた、などと言うつもりもない。
ただ、配偶者を亡くしたあと、
家計の現実と向き合わされた一人として、
時間が経ったいま、
そう感じてしまう瞬間がある、という記録だ。
答えは、今も出ていない。
それでも、子どもたちは前に進き、
私もまた、残された時間を生きている。